出身福岡県
生年月日1964年12月3日
年齢60歳
所属会派とだ彩光会
所属・市民生活常任委員会
・議会改革特別委員会
・戸田市土地開発公社(理事)
信念日本人の底力を信じる
信条・まちづくりは人づくりから
・人を大切にする政治
重視する政策分野・緑化
・防災
・教育
・交流
重視する活動・地域における現場体験
・時代をつかむための学び
・情報発信
・市政のチェック
・次世代を担う人材育成

経歴

1964年〜
  • 1964年12月3日 北九州市で生まれる
  • 北九州市立若園小学校入校
  • 福岡市立別府小学校卒
  • 福岡市立城南中学校卒
  • 福岡県立修猷館高校卒
  • 関西大学社会学部卒とともに大学院進学。
  • 関西大学大学院博士課程前期修了(社会心理学修士)
  • 秋篠宮紀子様を前に学会発表(日本社会心理学会)

1991年〜

株式会社日本能率協会総合研究所入社

地域経営研究室研究員として、人口15万人前後の中小自治体の計画策定等の業務に携わり、全国をまわる。

世界的な経営コンサルティング会社「マッキンゼー・アンド・カンパニー」の日本支社長・アジア太平洋地区会長(当時)の大前研一氏が立ち上げた「平成維新の会」に、サラリーマンをやりながら一会員として参加。

首都圏における平成維新の会若手会員のグループ「パワーステーション」のリーダーの一人として、仲間たちとともに大前研一氏に「人材育成塾(政策学校)」の企画提案を行う(現在の「NPO法人一新塾」設立につながった)。企画提案の際、大前研一氏から「人にやらせる気ではいけない。人にやらせるのではなく、君たちが今の仕事を辞めてでもそれを担う覚悟があるのであれば考える」と諭され、職を辞することを決意。大前研一氏の事務所に転職する。

この時に大前研一氏から諭された「人にやらせる(やってもらう)のではなく、自分の職をなげうってでも取り組む覚悟と意欲」が、後に市議会議員に立候補する決意につながった。

1995年〜

阪神淡路大震災発災時には、全国組織のパソコン通信フォーラムの責任者として、被災地と連絡を取り合い、支援活動にあたる。この時の体験と自分の祖母が神戸市で被災したことが、「防災」への強い思いにつながっている。

平成維新の会解散後、約半年のブランクを経て、株式会社クラウン・インターチェンジ・プログラムスに入社。その後、取締役に就任。大前研一事務所時代に培った経験をもとに、社会心理学とICTを活用した経営・情報発信コンサルタント、講演者として歩みだす。その後独立。

2004年〜

2004年9月に東京都杉並区より戸田市に転居。戸田市民となる(上戸田3丁目在)。

2001年〜
  • 財団法人石川県産業創出支援機構ホームページドクター
  • 特定非営利活動法人(政策学校)一新塾理事
  • 一般社団法人日本経営協会自治体広報専門家
  • 埼玉県商工会連合会専門家
  • 戸田市商工会講師
  • 埼玉県民生委員(もと)

戸田市での活動

  • 戸田市第4次総合振興計画審議員(もと)
  • 戸田市ボランティア・市民活動支援センター運営委員長(もと)
  • 戸田ブランド委員会委員(もと)
  • 戸田市児童福祉委員(もと)
  • 地域通貨戸田オール運営委員長(もと)
  • 鍛冶谷町会副会長
  • 鍛冶谷町会自主防災組織スタッフ
  • 埼玉県立南稜高等学校学校評議員
  • 戸田市ディスクゴルフ協会会長
  • 市役所南通りの景観と文化を育む会会員
  • 子ども達への読み聞かせボランティア
  • 戸田朝市ボランティア(福引き担当)

議会における市民の代弁者たる議員のひとりとして、現場体験から得られる知見を重視。現在も市の内外で行われている市民活動・ボランティア活動に積極的に参加している。